
いやはや今朝はかなり寒かったでごわす。
エアコンなどを入れてみました。
早く寒さに体を慣らせていかないといけないなぁ〜。
では、早速翻訳いってみよっと☆
まずは鬼の口上から。
「それに立ち向こうたる神は、いかなる神にてましますぞ」
→おーい、そこで対決姿勢を取っている神はなんと言う名の神であるのか?
「我はこれ、九州豊前の国、宇佐の宮に斎(いわ)はれたる八幡麻呂といえる神なり。汝いかなるものやらん」
→私は九州豊前の国にある宇佐之宮八幡宮に祭られている八幡麻呂という神であるが、お前こそ何者だっ!
「おお我はこれ、中天竺他化自在天の主、第六天の悪魔王とは我が事なり」
→インドにある欲界という欲悪の満ち溢れた世界に巣くう魔物達の主、第六天の悪魔王とは俺様のことだ!
「汝、麻呂が教えに従って外つ国へ退くか、さもなくば、この神通の弓に方便(ほうべん)の矢をかけ、汝が一命打ち取ること只今なり」
→おいお前、私の言う事をしっかりと聞いて国外に退去するか、そうでなかったら、神の力が宿ったこの弓に万能の矢をつがえて、たった今からお前の命にとどめを刺すぞ!」
「いかに八幡の守護たりとも、三界無変(さんがいむへん)の煙となって、立ちかけ立ちかけ、生き血を吸はいでおくものか」
→八幡神の守護がどんなものであったしても、宇宙全体をただよう煙になっていつまでも立ち向かい、必ずお前の生き血をすすってやる」
(補足)三界とは仏教用語で欲界、色界、無色界の事を指すそうで、宇宙全体の事らしいです。無変とは永遠にずっと続くという意味で、二つを足して何処までも途切れることの無い永遠の宇宙区間というような哲学的な意味合いになってくるのだと思います。
台本翻訳八幡編はこれで終了です。
演目の中に数々の仏教関連の用語が使われおり、神道と仏教が神楽という伝統芸能というものを介して、石見地方の人々の中で「信仰」という一つの形として融合していた事が非常に興味深かったです。
次はどの演目に挑戦しようかな♪